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〜選択した記事〜

レマン湖のようになりたい!後編 2011年8月31日

 日本の観光名所たる湖全般に漂う、時が止まったようなレトロ感。ブロンズ像だけが、けなげに水面を見守っているイメージは、時として物悲しい。そう、加山雄三と司葉子の愛は成就しなかった(成瀬巳喜男「乱れ雲」@十和田湖)。そう、布施明も泣いた(霧の摩周湖)。もしかしたら、恋に破れた者の亡骸がいくつも埋まっているのかもしれない。きっと日本の湿気のせいだ、あんなふうにジメッとなってしまうのは......フランスでは失恋というのは結果ではない、ほんの過程である。レマン湖お嬢ときたらカラリと明るく、一糸まとわないそのブルーの裸体で、フランス男とスイス男を手玉に取るのである。え、湖(lac)は男性名詞ですって? じゃあ、レマン青太郎を取り巻くのは、やはり女たち。いくつかのeau minerale:オ・ミネラル(女性名詞)=ミネラルウォーターの源泉である。

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エヴィアン一泊目の翌朝、私たちは源泉の丘に登る。市内にはもう一つ小さい源泉もあるが、この丘の上はエヴィアンの水を好きなだけ汲みながら、眼下に広がる真っ青な湖面を見おろすことができる。蛇口からほとばしる水をペットボトルに溜める。キラキラとした水の滴は、前日のカジノでの惨敗を浚ってくれるようだ。ごめんなさい、おいしい水を飲んでいい子になります。

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お隣町の Thonon:トノンもレマンミネラル水の産地である。ここのセカンドハウスに我が旦那のおじさん夫婦が滞在中につき、さっそく合流。街はずれのヴィラージュ、家々が木々と湖の水路まわりにきれいに配置された区画。家を持つと同時にボートを止める権利が与えられる。では、ちょいと散歩に行こうか、という話になる。行先はもちろん湖の上である。さあ、ボートに乗り込んで出発。まずはゆっくり水路をさかのぼり、いったん湖に出るとボートは加速、青色が長い白波の峰をたててゆく。どこまでも広い湖。さしずめ青い胎内でやみくもに進む一匹の精子のようである。さて、ボートを止め水浴びタイム。水着持ってくれば良かった......。妹はと言うと、構わずレマン湖へとダイブ、みごとアルプスの自然との engagement:アンガージュマン=エンゲージメント(英)を果たした。アンチセクシーな日本の下着もこういう時に役に立つのである。


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おじさん夫婦と昼食後、その夜のホテルがある Yvoire:イヴォワール、という村へ。トノンから湖沿いに少しジュネーヴ方面へ向かったところにある、湖畔のかわいらしい石造りの古い町だ。現在は趣向を凝らしたブティックや職人の店が集まっていることで有名だ。湖畔までの下り坂をそぞろ歩きして、きれいなものを見るのは本当に楽しい。食料品店には選りすぐったサヴォアの名物が。特にワインのセレクションには目を見張る――Persan:ペルサンという品種はお目にかかったことがない。聞くと、失われつつある古来からの、サヴォアならではの赤ワイン用ぶどう品種、とな。これを買わずして何のレマン湖か。おごそかにボトルを数本手にし、息を殺し会計を済ませ、あとは一目散にホテルの部屋へ帰るべし。

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湖畔沿いにバルコニーがついたいいホテルだ。以前来た時はオフシーズンだったが、その時にチェックしておいたところである。さっきのワインは夕食後に飲んだが、物静かないちじくと熟したプラムの香りに我を忘れた時、舌の奥にある味覚のクッションにズシンと、黒こしょうや丁子の重いかたまりが落とされる感じである。スパイスの勢いの球は、ふんわりと羽毛クッションにやわらぎ、そこへコロリと流れてくる......。こんなワインに出会えるのが旅の醍醐味、人生一生旅人でいたい、と切に思う。

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湖が暮れだしたころ、私たちはホテルのレストランに降りた。やはり湖が見える外のテラスである。人で溢れていた。完璧満席状態、ムム、大丈夫か。こういう場合職業上いやでも気になってしまう......テーブルの数、サーヴィスの頭数、メートルドテル、ソムリエなど、給仕全体がちゃんとまわっているか、厨房の規模の予想、最低何人シェフの下にいるべきか目が光る......嫌な客だ。しかし、そんな雑念はメニューを見た瞬間チンタオビールの泡のようにパッと消えてしまった――ある! 幻だったあの Ombre de Chevalier:オンブル ドゥ シュヴァリエ(アルプスイワナ)があるではないか! ただし、数に制限がある、と。さっそく、テーブルの担当の蝶ネクタイのおじさんに聞いてみる。よく見ると彼は鼻に詰め物をしている。理由を聞くべきか迷ったが、彼はさっき鼻血が止まらなくなってねと自虐めいて言った。やっぱりこの忙しさのせいだろう。オンブル ドゥ シュバリエは? 彼はシェフに聞く、と駆けるように戻っていった、ああそんな動いたらまた鼻の血管が!

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うれしいことに最後の一匹ということ。さっそくオーダーを。前菜を決め、さあワインは何にしようか。もっともレストランでたのしい瞬間である。人々のざわめきとその向こう側、薄紫色に染まった湖面はこの世のものとは思えない。これから始まる楽しい食事も夢の中なのかもしれない。

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前菜。エスカルゴのロバの耳風、中身を詰めた2本の春巻き状のものがソースの上でクロスしている。ソースはお隣のJura:ジュラ地方のVin Jaune:ヴァン ジョーヌとクリーム。向かいに座る夫は湖と海の幸のサラダ。どっさり盛られたサラダに、程よく焼けた貝やら魚が組み込まれている。さくさく食べる。とっぷりと夜が更けてくる。ワインをもう一本。

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そして、念願のオンブル ドゥ シュヴァリエがやってきた。何とうつくしい姿だろう。小鹿の脚のように無邪気にすっと伸びた魚肉のフォルム。そのきめ細かくつるりとした筋肉の連なりは、軽さの中に野生の魚たる生命力を秘めているようだ。一言でいう「可憐」。柑橘類が忍んでいるやわらかなワインのソースが、彼女にとってのせせらぎなのだろう。味のほうも容姿そのもの。舌の上で礼儀正しく、ホロホロと崩れてゆく肉、奥の深い旨み、そして淡水の栄養をことごとくくみ取ったミネラルたっぷりのほろ苦さがたまらない......幻の魚なら、幻に溺れてみようか、と酔いの淵をたどってみる。ちなみに向かいはレマン定番の Fera フェラ(レマン湖鱒)で今回の旅の締めをしている。カリカリにソテーされてやはりおいしそう。ここでは書ききれないが、同席の妹、母のチョイスも見事であった。もう真っ暗で湖はみえないが、私たちはお皿の上でいつまでも水浴びをしていたのだ。

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美味しいもの宝庫なる湖に抱かれた旅。この懐の深さ、純粋さ、もの言わないその迫力、レマン湖様。また拝みに来ます。


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